紀州口熊野マラソン

2月3日、紀州口熊野マラソンで2時間55分切りに挑戦した。

55分切りにはいくつかの意味がある。別大のカテゴリー2、東京マラソンの準エリート基準、そして1908年ロンドンオリンピックの優勝記録、2時間55分18秒。これは世界で最初に42.195kmで開催されたレース。つまり55分を切れば、オリンピック優勝ってことだ。さらにいうと、幻の記録、2時間54分46秒を切りたいところ。

千鳥足のお手本

ロンドンオリンピックでトップを走り、最初にオリンピックスタジアムに駆け込んだのは、イタリアのドランド・ピエトリだった。彼は疲労と脱水ですでに意識が朦朧としていて、トラックに入ると順路を逆走してしまう。正しい方向へと誘導されたとき、ドランドは倒れてしまった。大会スタッフに支えられて立ち上がり走り出すものの、また倒れる。立ち上がり、倒れる。それを何度かくり返し、生まれたての小鹿状態でどうにかゴールした。その壮絶な走りは観衆を感動させた。

しかし、スタッフの助力があったことで失格となり、優勝は幻となった。その記録が2時間54分46秒。ドランドの悲劇は、マラソンの故事を思い起こさせる。

ゴールのお手本

話は紀元前490年までさかのぼる。ギリシアの都市マラトンにペルシア軍が侵攻して、アテナイ連合軍が応戦。その結果、アテナイ連合軍が勝利した。一刻も早く勝利の報告をアテナイに伝えるため、伝令のフェイディピデスは走った。マラトンからアテナイまで、およそ40km。彼は全身全霊でひた走り、本部に勝利を伝えるとそのまま息絶えた。

そういうわけで、42.195kmがマラソンの正式な距離として採用されたのは、ドランドの悲劇の影響が大きい。

前置きが長くなりすぎた。そろそろ今回のレースの話。

スタートまで

マラソンは記録を追いかけるばかりではなくて、せっかくなら旅も楽しみたい。紀州口熊野マラソンは、レース後に熊野古道を散策したくて選んだ。

2000人規模のこじんまりとしたレースながら、陸連公認コース。いちおう私は、タイムに関しては律儀に公認記録で勝負することにしている。

天気は晴れ、気温は朝が10度ほどで、昼には暖かくなる。風は少々。レースの条件としては並ってところ。汗で塩まみれになりそう。

0-20km

午前10時、号砲。走りだしは大事。ゆっくり無理せず、と思いつつ、ばっちりとオーバーペースで入る。最初の1kmは3:50/km。呼吸には余裕があって、脚も軽い。調子はいい。

1kmが短く感じて、20kmあたりまではあまり記憶がない。日めくりカレンダーをぺらぺらとめくるようにキロ表示が過ぎていったような感じ。夢の中の出来事みたいで、断片しか思い出せない。

0-10kmの平均ペースは4:02/km。明らかに飛ばしすぎ。だけど感覚的にはこれでもセーブしていた。あわよくばサブエガ、なんて下心がわいてくる。

10-20kmは4:07/km。サブエガはさっそくあきらめた。とりあえず気持ちよく走れている。まだまだ余裕。

ハーフ地点手前にそこそこのアップダウンがある。上りはペースを落として、無駄な力を使わないように進んだ。上り坂の疲れは少し遅れてくるから、快調に上ってしまうと、たいがい坂の頂上を過ぎてからバテる。

20-30km

20-30kmは4:08/km。順調に走っているつもりだったけれど、25kmあたりで中だるみした。微妙なアップダウンの連続でリズムが崩れて4:15/kmほどにペースダウン。3人の集団に追いつかれたのでついていく。2kmほど引っ張ってもらって、だいぶペースが安定した。ずっとおんぶにだっこじゃ情けないってことで、前に出て引っ張ってみたものの、1kmほどでごめんなさい。で、コバンザメに戻る。引っ張る2人の背中が頼もしい。

30-Last

この集団はもう1人吸収して、30kmあたりまで5人で進んだ。そろそろ疲労が出始める。教科書どおりの30kmの壁。集団から1人落ち、また1人落ち、そして私も脱落。引っ張ってくれた2人の背中が遠くなっていく。無理をすればついて行けたけれど、35km以降で撃沈しないように、体力を温存することにした。

35kmあたりは誰も見えない一人旅。きつい。呼吸はまだ余裕があって、脚も残っている。なのに、きつい。栄養的なきつさだろうか。給水は毎回アクエリを取り、塩熱サプリをときどき食べて、10kmにひとつアミノバイタルのアミノショットを食べた。汗でミネラルが足りなくなったか。右のふくらはぎが痛んで地面を蹴れなくなってきた。胸だか脇腹だかに軽い痛みがある。

交通規制していない車道を走る区間があって、次々と車に追い越される。道路の端によけると、路面の凹凸でふらつく。普段ならなんてことのない路面に苦しむ。マラソンは何度走ってもつらいな。1kmが長い。

ペース感覚がなくなって、体感では5:00/km以下に感じる。それでもラップはまだ4:20/kmあたりで粘れている。序盤の貯金があるから、諦めるにはまだ早い。目標タイムはいつだってぎりぎりなんだ。40kmまではなんとか粘って、ラスト2.195kmで燃え尽きよう。

40km地点で時計を見る。細かい計算ができない。でも55分切りはまだチャンスがあると判断した。絞ったぞうきんをもうひと絞りするようにスパートをかける。痛むふくらはぎで強く地面を蹴る。ペースは4:06/kmまで上がった。ラスト200メートルは全力。出せるものは全部出し切ってゴールした。

時計を見ると、55分をオーバーしていた。届かなかった。くそーと思ったら、実際にくそーと言ってしまった。

でも力は出し切れたと思っている。自己ベストを3分更新。そして、3年連続、3度目のサブ3。冷静に振り返れば上出来だ。

走り終わった後は、けっこうふくらはぎのダメージが大きくて、歩くのもつらい。限界付近で死力を尽くした結果だと、ちょっと感慨に耽った。これは深いダメージになるかもしれない。なんて思っていたら、翌日には痛みがほとんど引いて、筋肉痛もなし。私の死力なんて所詮そんなもの。

ゴール後に自販機で飲み物を買って、お釣りを取り忘れた。それもよりによって千円札で。疲れていたのだろう。一番くやしい。

ハーフでガチる

赤羽ハーフマラソンに参加した。結果は目標の1時間21分切りを上回る1時間20分切り。自己ベスト更新。アップダウンの少ない直線コースで、風が弱くて走りやすかった。

スタート後、早い段階でよいペースの集団に紛れ込めて、3:45/kmで引っ張ってもらう。3:50/kmの予定だったので、突っ込む展開にひやひやしながらも、呼吸と脚はまぁなんとかなりそう。集団走の力はあなどれない。ただついていくだけだから気が楽だし、風の抵抗も減る。中間を折り返したら集団は自然消滅してしまい、あとはソロ活動。

15kmで集中が途切れて、15km~20kmは3:50~3:55/kmあたりをうろうろ。たまにくる「やばいかも」の波で弱気になってしまった。そういえば女子マラソンの千葉ちゃんは苦しいときに「プリン、プリン」と唱えていたと言っていた。私は「うどん、うどん」にしよう。走った後は釜玉が食べたい。

ラスト1kmは気合いで3:40/kmまで上げて、場違いなくらい息を荒げてゴール。ラストで上げるくらいなら、15km以降を3:50/kmで刻めばレース的にはきれいだった。ピッチのグラフは下降していて、わかりやすく消耗している。突っ込むとこうなるんだなぁ。左右反転したら理想的なレースだ。

今回のハーフは2週間後のフルに向けて最後の追い込みだったので、ちょっとガチりすぎたかも。ピークがきてしまっているので、調子を落とさずにフルに臨みたい。

VDOTに換算すると58~59。フルは2:55切りが目標だけど、VDOT的にはサブエガも見えてきている。私の場合、VDOTはフルだと2くらい数値が甘いイメージだから、実際は56と見るのが現実的か。あるいは撃沈上等でサブエガ狙いもありか。悩むところ。